実録・アル中から奇跡の復活(安藤大造)

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私は平成14年1月9日にアルコール依存症と診断された。

アルコール依存症は実に恐ろしい病気である。                        そして治り難い事で言えば、麻薬・覚醒剤依存より治る事が困難な病気と言える。

何故ならばアルコール依存症の原因となるお酒は近くの酒屋でもコンビニでも            安易に手に入ってしまうからである。

当時の私は日本酒を毎日欠かす事なく1升は飲んでいた。                       アルコール依存症になると体は元より脳にもダメージが蓄積する。                  どの位病気が進んでいるかを判断するには血液を採取して肝機能を検査する。             私は、その血液検査で平常値が74以下でなければならないγ―GTPという数値が、なんと2000だったのである。

私は、その数値を見た医者に「この数値では5年生きられない」と断言れた。

専門医療機関の統計によると、10人のうち5人は酒をやめられずに肝臓や膵臓を痛めて死に至り、10人中4人は、断酒出来ずに入退院を繰り返し⇒仕事ができなくなる⇒生活保護受給者という人生を送る事となる。

10年越えの断酒に成功できる確率は1割にも満たない。                        10人のうち一人いるかどうかの確率である。                         その希少な成功者がこの私安藤大造である。

私が、そのアルコール依存からの生還というアルコール依存症の患者や家族にとっては偉業と言える結果を残したのは他人より意志が強かったせいではない。                

私は、意志が強いどころか人一倍意志が弱い人間である。意志が弱いからアルコール依存症になったのである。

アルコール依存から脱却する為に今度はお酒が嫌いになる薬(シアナマイド)を使ったがダメだった。それどころかアルコール依存に加えて薬物依存も抱え込む事となったのである。

自助グループ(断酒会やAA)に参加したがそれもダメだった。

そんな私を見て業を煮やした妹がタウンページから「催眠療法を」探してきた。         「これが最後の手段だよ!」の声を耳に該当のページを開いた。

1軒目にかけた催眠オフィスは実に対応が横柄で、頭にきてやめた。

そして2軒目にかけたオフィスが大滝先生の運営する横浜催眠心理オフィスだったのである。

平成14年1月9日・アルコール依存症専門医療機関である、東京都町田市の「Y病院へ入院」.大滝先生の遠隔催眠のおかげで、当初、入院期間を3ヶ月と予定していたが、1ヶ月半で退院することができた。

その後、大滝先生の催眠療法により、飲酒欲求がなくなり、平成21年から断酒、現在に至る。

平成21年当時、何とかアルコール依存から脱却して自分の人生を取り戻そうと励ましあった私の周りにいたアルコール依存で苦しむ患者の友達は、データーが示す通りに私以外は誰一人として回復した者はいない。

そしてそのほとんどが命を落としている。

2020年12月6日未明、私は川崎市の某病院の一室にいた。                     残り少なくなったアルコール依存からの脱却を目指した戦友ともいうべき親友が肝臓がんで最後の時を迎えようとしていた。  

私が大滝先生に伝承してもらった気功で苦しませず逝かせてあげる為である。

今、私がそういう局面にいる事を大滝先生にメールで伝えたのは午前4時だった。

そんな真夜中と言える早朝にも関わらず僅か2分後に大滝先生からメールが返信されてきた。

私は「(こんな夜中なのに大滝先生は起きているのか?それとも寝ていてもメールの音に反応できるのか?」」と思いながら大滝先生からの返信メールを見ると「もし、安藤君だけででなく私の協力が必要で患者さんの家族がそれを望むならば今からでも駆け付けるよ!」という文字が打たれていた。

私は感激して親友の家族に伝えてその回答を大滝先生に返信した。               「ありがとうございます。その旨をご両親に話しましたら「たいへんにありがたいのですが、最後は静かに少人数で送ってあげたい」とのことでした」というメールだった。

そのメールを見た大滝先生は「分かりました。遠隔で数時間、安藤君の後押しをします」というメールをくれた。

そのすぐ後に後押しをされる様な不思議な感覚が私の全身にみなぎった。             間違いなく私のすぐ後ろに大滝先生が立っている様な感覚だった。

「(大滝先生はまだ諦めずに助けようとしているんだ!)」と私は実感したが、悲しい事にアルコール依存によって苦しめられた家族は、患者の死を悲しむ反面、早く旅立ってくれという気持ちも同時に持つ事が多いのである。

完治しないのに長生きする事は家族の不幸の時間を長引かせる事になるのである。       きっと私も家族からそう思われていた時代があったのだろう・・と考えながら私は親友が苦しまずに旅立ってくれる事を祈りながら気を当て続けた。

普通、痛みで苦しみ臨終の時には痛み止めと称した強い麻薬を使うのが常であるが、親友は痛み止めを使う事もなく楽に旅立って行った。

午前8時の事であった。